私と結婚していて、正直どう?

私たちの多くは、結婚する時、「これでようやくたどり着いた」と思っています。「この人が私を満たしてくれる。」 「この人が私を幸せにしてくれる。」ロマンチックに聞こえますが、その理屈をよく見てみると、結婚が人生のゴール、報酬、また自分の必要がようやく満たされる場所になっているのです。そして、配偶者が自分を満たすためのリソースになってしまいます。ところが、そのリソースが足りなくなるとどうでしょうか。例えば恋愛感情が薄れ、イライラが積み重なり、理想と現実の隔たりが広がる時、結婚に対して失望的な感情を抱き始めます。

「説教準備の、もう半分」

このような場面を何度も目にしたことがあります。

神学校を卒業したばかりの若い教会開拓者が、教室で学んだばかりのミニストリー哲学を携えて現場へ送られ、説教への情熱に燃えています。彼の書斎机には注解書が山積みです。 頭文字をそろえた3つのポイントも用意し、聴衆を惹きつける決定的な例話も準備したと本人は確信しています。 講壇へ進み出た彼は、35分間の説教をほぼ自分自身に向けて語ります。もちろん会衆は存在していますが、ただそこに「いる」だけです。

三楽章の喜び

福音をわずか三十五語で言い表すとしたら、どのような説明になるでしょうか。イエスはそれを、二つの短いたとえ話のうちに語られました。畑に隠された宝を偶然見つけた男と、高価な真珠を探し求めた商人の話です。二人とも、あまりに価値のあるものを見出したがゆえに、持っている物すべてを喜んで手放しました

最後の日曜日

「対立の回避」「福音による勇気」、そして日本の教会で語られない奇跡について。

日本の牧師なら誰もが、こんな場面を経験しているでしょう。

礼拝後、ある信徒が普段より少し堅い態度で近づき、静かにこう言います。「先生、今日が最後の日曜です。」牧師は驚いて言葉を失います。「どうして? 何かあったのですか?」そして、ゆっくりと重い塊のように降りかかる答えが返ってきます。「実は、数年前にある出来事があって、それがずっと心に重くのしかかっていたんです……」

誠実な恵み深さ

「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人たちは神に申し開きをする者として、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆きながらすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にはならないからです。」1

霊的虐待(スピリチュアル・アビューズ)が深刻な問題として認識されている今日、「指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい」という命令には、ある種の危うさが伴います。誤解を恐れて、この聖句を取り上げるのをためらってしまいがちです。けれども、これは盲目的な服従への呼びかけではなく、指導者と会衆の双方に益をもたらす協力関係への招きなのです。