チームメンバーからリーダーに変わる時

日本のプロテスタント牧会者のほぼ半数が70歳以上、その数は増加傾向にあるという統計は厳しい現実を浮き彫りにしています。数年以内には、日本の牧会者の70%以上が70代、80代、あるいは90代になる可能性があり、すでに多くの教会がリーダー不在の状態にあります。一方、日本の神学校が輩出する人材は、必要数に対してわずか3%にすら満たない状況です。

キリスト中心の組織文化を築く

多くのキリスト教組織は、「愛がある」ことと「効果的である」ことの間の緊張の中で生きています。リーダーたちはおそらく、どちらかを選ばねばならないという前提に立っているのでしょう。つまり、家族のような温かみのある関係性を重んじる文化を持つか、それとも真剣さと責任感をもって卓越性を追求するか、という選択です。しかし聖書は、真理と恵み、愛と効率の間でどちらかを選択せよとは決して求めていません。イエスは両方を体現され、御民にも同じことを求められます。

不安に左右されない存在

高校最後の年、敬愛する先生の一人からラッドヤード・キプリングの詩「もしも」が書かれているバースデーカードをもらいました。そこには人間性が試されるような困難にどうしたら「勇気をもって」対処できるかという、以下のようなキプリングの引用で始まっていました。「もしも  周り全てが理性を失い 失敗を君のせいにしても 君は自分を見失わず 冷静でいられるなら…」。

結婚関係と教会開拓

私が教会開拓への召命を確信するきっかけの最も大きな要因は妻の肯定的な態度でした。しかし、彼女も初めからそう確信していたわけではありませんでした。

教会開拓への召しを感じるまで、私はあちこち転々とする放浪生活を送っていました。妻と交際中にはインドの大学でチャプレンを務め、婚約中にはヒューストンのインド人教会で英語礼拝を担当していました。そして、結婚して6か月後、私はニューヨークへの召命を感じました。

すべての人が参加できる礼拝

私はあまりにも長い間、礼拝はクリスチャンと神との間の、独占的で双方向の関係の間にもたれるものという印象を強く持って生きてきました。私のイメージでは、礼拝とは、目を閉じ、手を上げ、感動に浸り、周りにあるすべてのものを意識せず、ただ私と神だけがそこにいるというものでした。