現代の若者とその緊張点

21世紀という時代に育つ、それはある意味怖さを伴う条件でしょう。雇用市場は急速に変化し、相反するナラティブ(語り)が注目を集めようと競い合う中、不確実な恋愛事情も加わり、若者の成功への欲望はもっとベーシックなものに退化していく傾向があります。ズバリそれは生き残りです。現代に生きる若者にとって、地元を離れ安定した職に就き人生のパートナーを見つけることがこれまで以上に難しくなっているからです。

インターネットの功罪

スマートフォンのフィードをスクロールするたびにはっきりとわかることが2点あります。特に選挙の年は、顕著です。

今年初めにメタモダニズムについて書いた記事で、私はこれを「私たちの文化の現時点における懸念すべき兆候」と捉えました。「多くのメタモダニストは、非論理的な見解を指摘されてもひるまない。自分の立場が矛盾しているという内面的な破綻を気にしていないのだ」と記しました。オンラインでの生活には認知的な不協和音が蔓延しています。しかし私たちはそれをもはや不協和音としてとらえなくなってしまったのです。私たちは内面的な破綻との共存に折り合いをつけました。これがインターネット時代の私たちの生き方です。

すべての人が参加できる礼拝

私はあまりにも長い間、礼拝はクリスチャンと神との間の、独占的で双方向の関係の間にもたれるものという印象を強く持って生きてきました。私のイメージでは、礼拝とは、目を閉じ、手を上げ、感動に浸り、周りにあるすべてのものを意識せず、ただ私と神だけがそこにいるというものでした。

現代社会で信仰に至る道

現代社会に浸透しているのはメディアだけではない。フェイスブックやツイッターなどソーシャルメディアの並外れた成功は、実はもっと大きな潮流が可視化したものだと指摘する声が増えている。フェイスブックはインターネットを広大で不透明なコンテンツから、関係性に意味を見出すネットワーク(インターネット2.0と呼ばれている)へと変化させた。それと同じように人々の人生や信仰への取り組み方も変わってきている。それはもっと社会的になる一方で個人主義は薄れ、何かを信じたり考えたりするより何かに属していることが重視されるようになってきた。

CTC DNA:  文脈化とは何か?

文脈化とは、聖書の真理をそれぞれの文化に合わせて表現し、実践することです。そうすることで聖書の真理を全く妥協することなく、同時にできるだけわかりやすく説得力をもって伝えられるようになります。そのためには次にあげる二点を避けなければなりません。第一は過度な文脈化です。その文化の表現や慣習に合わせるというよりも、真理そのものを改ざんして真理を尊重することができません。第二は不十分な文脈化です。不必要に異質で理解しにくく、これもまた真理を尊重できません。