宣教地での協力関係 (3)

English version is here

パートナー選び

ここで現実的な問題が生じます。それは教会開拓をするとき、誰と協力体制を組むべきかという問題です? 結婚に例えてみるとより理解しやすいと思います。


私がまだクリスチャンになったばかりの頃、私を導いてくれたのは賢い兄弟でした。フルタイムでミニストリーに携わり数十年、いくつかの厳しい教訓を学んだ彼は知り合ったばかりの頃、私にとてもいいアドバイスをくれました。「誰かクリスチャンのパートナーを決めたいなら、まずその人と『デート』してみてからだね」と。たとえクリスチャン同士でも、相手をよく知りもせずにすぐ協力関係をもとうとするのはあまり賢明でないと言いたかったのです。相手の性格、賜物、神学的視点、人生における状況、その他多くの要素が、私たちが他の個人とどのようにパートナーになるかを考えるときに重要なのだと。どれも私たちが配偶者を選ぶ(あるいは選んでもらう)前に考慮するような事柄です。


私がこのアドバイスの意味に気づいたのは、ある時、一人の教会員を私たちのミニストリーに迎え入れたのですが結局彼が与えられた責任には適さないということがわかった時でした。彼に責任をもってもらおうと躍起になった私は、中国の大学院生の毎週の聖書の勉強会を導くように頼みました。ですが一回めの学びの後、私は大きな間違いを犯したことに気づきました。なぜなら彼は、聖書そのものよりも、論争の的となるような政治問題に議論の焦点を当ててしまい、それがクリスチャンでない中国人学生には大きなつまずきになっていたからです。私たちは彼らに福音を理解してもらおうと努力していたのですが、この兄弟は不必要なつまずきを与え続けました。私が何度も警告したにもかかわらず、彼はこうした問題を議論したいという誘惑に勝てませんでした。彼に議論をリードさせるという私の決断は早まっていました。「デートする」前に、ミニストリーの役割において彼を「伴侶」にしてしまったのです。むしろ私は、彼をまず学びの参加者として参加させ、彼が議論を導く裁量を持っているかどうかを観察すべきでした。


さてそれでは、私はこの兄弟と「コイノニア(交わり)をもてるでしょうか? もちろんもてるでしょう。それでは、深く聖書研究するような小グループのリーダーを彼に任せるべきでしょうか? おそらくしない方が良いでしょう。少なくとも、彼がその役割を果たせるようになるためのトレーニングが終了するまでは。ですから「コイノニア(交わり)」とは、私が彼にグループリーダーを任せるかどうかということよりも、もっと広い意味で理解しなければなりません。方向性としては、私は彼を理解しパートナーとなってもらうための新しい方法を模索することもできますが、それには彼のアイデンティティの二次的な要素(すなわち、彼の性格、賜物、神学、政治的見解、その他多くの要素)をまず理解しなければなりません。

そこで宣教地で現地のパートナーを選ぶ際に役立つ3つの原則を提案したいと思います。もちろん、それだけに注意すべきというわけではありません。むしろ、以下の三つの原則は私が過去20年以上にわたって交流してきた海外宣教コミュニティーの中でしばしば軽視されてきたものです。

  • 第一のアイデンティティと第二のアイデンティティのバランス

  • 共通のビジョンを見つける

  • 信条と告白の団結の可能性を模索する


1. 第一のアイデンティティと第二のアイデンティティのバランス

私がまだ若い神学生だった時、ある在米中国人の教会のリーダーとともに教会を開拓ことになりました。私は神学校で学んだことを分かち合いたいと熱望していましたが、同労者の中国人の多くは私の神学的な立場や理解を好んでいないことがわかりました。彼らは、私たちは皆クリスチャンだから同じ考えを持っていると思い込んでいましたし、私もおそらく彼らが私の言うことを気に入るだろうと思い込んでいました。結局のところ、当時の私は単なる神学の専門家に過ぎませんでした。


そのような思い込みは、神学や宣教哲学の違いは重要ではないという無邪気な考えに基づいています。確かにそういった違いが私たちを隔てるものであってはならないのは事実ですが、教会開拓やその他の伝道を試みる前に、お互いの立場を理解するために、ある程度の時間を費やす必要があります。私たちを分断しかねない問題について現実的に考え、そのような問題があったとしても、どうしたら真の方向性を持った交わりを培うことができるかを熱心に模索する必要があります。


二次的アイデンティティは過小評価してはいけません。本当の交わりをもつには、極めて現実的な視点と、人間にはできないことを神がなさるのを見たいという信仰に満ちた情熱を融合させる必要があります。例えばアメリカ人、オランダ人、韓国人というアイデンティティを無視してはいけないように、バプテストや長老派、超教派という二次的なアイデンティティも無視してはいけません。同時に、それらのアイデンティティは、キリストにある私たちの第一のアイデンティティの次に来る二次的なものであるという真理を理解し、それを実践する必要があります。キリストとの結びつきが基本であり、真の交わりの基盤を形成するものでなければならないのです。ですから、同胞であるクリスチャンに手を差し伸べようとするあまり互いの違いを軽視し、後になって対立が生じたときに、その違いがどれほど影響力があるのかに気づくことがあるのです。

2. 共通のビジョンを見つける

私たちの中国でのミニストリーに大いに役立っているのは、神学的背景の異なる人々が共に働ける共通の基盤があることです。この共通の基盤は、対立する2つの領域、すなわち神学的な土台と宣教方法の間にあります。これがティム・ケラーの言う神学的ビジョンです。彼はこう書いています。「神学的信念(土台)と宣教方法(実践)の間には、特定の社会的状況と時代に福音をどのようにもたらすことができるかについてのよく練られたビジョンが必要だ。これは、教理的信条より実用的なもので、宣教方法の「ハウツー」より神学的なものである。」(『センター・チャーチ』23)。

当初、ハウスチャーチのリーダーたちを集めて教会開拓トレーニングを開始したときは、全員に受け入れてはもらえませんでした。ほとんどの指導者たちは従おうとしませんでしたし、こちらも彼らにそうするようプレッシャーをかけることもしませんでした。しかし、当初の参加者のうち4人はトレーニングの継続を希望しました。4年後、そのグループは4つの教会から数百の教会へと成長し、中には新しい教会があったもののそのほとんどは既存の教会でした。私たちはひとつの簡単な質問に焦点を当てました。つまり「福音とは何か、そして私の人生と教会の人生において福音が持つ意味とは何か」です。教会、牧師、信徒の指導者たちは、このグループから生まれるトレーニングと共同体に飢えていました。長老派、バプテスト派、そして超教派の教会がこれらのトレーニングに集まって来て、私がこれを執筆している間もこの活動は広がり続けています。

この共通の神学的ビジョンは、様々な神学的立場や宣教哲学を代表する全国の教会が福音のために真のパートナーシップで協力し合えるような交わり(コイノニア)を育んでいます。そして開拓チームの参加者全員が目指すべき共通の最終目標として機能しています。

しかし、共通のビジョンを持つには、そのゴールにどうやって到達するかについてチーム内の合意を得る必要があります。最終目標を達成するための、より小さな短期目標も必要です。また、最終的なビジョンに到達するためにチームがどのような計画を立て、どのような戦略をとるのかというミッション・ステートメントも必要です。エブリンとリチャード・ヒバート夫妻は、著書『Leading Multicultural Teams』の中で、チームのこうした側面を発展させるのに役立つ貴重な方法をいくつか紹介しています。そこには「チームの目的は、強力なグループの結束を創り出し、相乗効果を生み出し、共に働くことの困難を克服する原動力となる」と書かれています。つまり、チームのパフォーマンスは、個々のメンバーの努力の合計を上回ることになるのです。

私たちがリーダーたちを集めて、中国における教会開拓運動のミッション、中核的価値観、戦略を練り上げたとき、ある決定的な瞬間がありました。各教会は共通の神学的ビジョンを掲げていましたが、ミッション・ステートメント、戦略、核となる価値観は明確ではありませんでした。そこで会議中、中国の4つの地域(北、南、東、西)の教会を代表するいくつかの小さなグループに分かれましたが各グループが再び集合した時、自分たちの書いた内容がほぼ同じだったことに驚かされました。それは(どれも神学的立場が異なる既存の教会であったのに)聖霊がこれらの教会を統合するために働いている、ということが浮き彫りにされただけではありませんでした。それだけでなく出発点として共通の神学的ビジョンを持つことの力強さを示してもいました。

3. 信条と告白の一致の可能性を考える

一致を築く上で役立つもう一つの実践的方法は、信条と告白の使用です。私たちは最近、中国の神学校連合を結成し、共通の神学と古典的な改革派公会議への信仰を中心に協力し合うことになりました。私たちのグループでは、バプテスト派と長老派が肩を並べて働いています。この連合はまだ歴史が浅いのですが、私はこのグループの結束の速さと本題への取り掛かりの早さに驚いています。

現在、信条や告白をめぐる感情は肯定的なものではありません。ほとんどの人は、信条や告白を取り巻く分裂の要素に目を向けています。しかし、使徒信条と、キリスト教信仰のこの単純な声明にどれだけのクリスチャンが賛同しているかを考えてみましょう。多くの人は、このような単純な信条は、クリスチャンを分裂させる深い神学的問題に対処するにはあまりに限定的であると感じるでしょうが、それにもかかわらず、この信条は最適な出発点です。この単純な信条が、異なる教派の背景、文化、言語を持つ信者を団結させる可能性は大きいのです。

信条や告白には、歴史的なものと現代的なものがあります。他の例としては、クリストファー・ライトが率いるワーキンググループによって書かれた「ケープタウン公約」や、ジョン・ストットのリーダーシップの下で書かれた「ローザンヌ誓約」などがあります。これらの文書は、ローザンヌ運動が何を受け入れ、どのような誤りを避けようとしているかを明確にするために書かれました。これらの文書には信条や告白という名称はありませんが、同じ目的で機能しています。共通に合意された信条が、どのように団結と協力体制を育むことができるのか、その肯定的な要素を考えてみましょう。

現地の人々のキリスト教信仰が成熟している分野で奉仕する場合でも、活動が始まったばかりの分野で奉仕する場合でも、パートナーシップを組む必要性があります。場合によっては、そのパートナーシップは将来的な計画でしかないかもしれません。あるいは、現実に今必要とされていることもあります。どのような状況であっても、聖霊の知恵と指示に従いながら、誰もがこのミニストリーに不可欠な側面に取り組んでいってほしい、それが私の願いです。

現地ではあらゆる人々とパートナーシップを組む機会がありますが、私たちは神を中心とする確信と聖霊に導かれた識別力の両方をもってその機会に取り組む必要があります。この記事で示したような原則を採用することで、その分野がどのようなものであれ、宣教師にとって有益な助言となると思っています。主が教会の働きを祝福され、御国が訪れ、御心が天にあるように地にも行われますように。


編集者注:この記事は元々、チャイナパートナーシップによって公開されたものです。この3部作のシリーズでは、サ・ジョン・ズィが宣教活動における現地の人々との協力の重要性について論じています。今回は、著者が山登りと現地の宣教活動のパートナーシップにおける類似点について紹介します。Redeemer City to City の許可を得て翻訳、転載しています。


著者:サ・ジョン・ズィ(「種をまく」という意味)は、中国の家庭教会の支援と強化に協力しているアメリカ人のペンネームです。