「良い問題」と神の解決

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使徒の働き6章が教える、恵みの中で成長する教会

「教会の中での長老の役割を探る」2部構成シリーズの第1回目の学びへようこそ。次回の記事「執事・長老・教会の働き」では、執事と長老の関係、そしてチームで奉仕する人々に求められる資質について掘り下げていきます。

活気ある教会はやがて、成長という祝福が問題のように感じられる瞬間に必ず直面します。人が増えれば、必要が増え、必要が増えれば複雑さが増し、そして複雑さからは不満が生まれます。ルカは次のように記しています。「その頃、弟子の数が増えるにつれて、ヘブル語を使うユダヤ人たちに対して苦情が出た。彼らのうちのやもめたちが、毎日の配給においてなおざりにされていたからである。」(使徒の働き6:1)


エルサレムの教会は、爆発的に成長し、数千人の信徒を抱えていました。使徒の働き2章41節、4章4節、5章14節によれば、弟子たちの数は1万8千人を超えていた可能性があります。社会保障制度の存在しない社会において、何百人もの寡婦を支えるという運営上の課題がどれほど大きかったか、想像してみてください。しかし、この問題は、失敗の証ではなく、忠実さの証でした。福音が広がっていたからこそ、教会が成長していたのです。しかしながら、成長はしばしば、私たちの体制や心を試します。

使徒の働き6章1-7は、使徒たちがこの困難な問題にどう対応したかを示しています。彼らの例は、大小問わず、全ての教会の助けになるでしょう。敬虔なリーダーシップと聖霊に満たされた奉仕によって、どのように不満が福音に根差した成長の機会へと変えられていくかを見ることができます。

ルカの記述は、不満から始まります。ヘレニストたちーギリシャ語を話すユダヤ人たちーは、日々の食料配給において、自分たちのやもめが軽視されていると感じていました。この問題は、実務的な側面と人間関係的な側面の両方を含んでおり、民族や文化の違いが原因で、このコミュニティーを分裂させる恐れさえありました。しかし、ルカがこの状況をどのように捉えているかに注目してください。「そのころ、弟子の数が増えるにつれて...」(使徒の働き6:1)。成長と不満は同時に存在していたのです。

教会が不健全な状態にあるために問題が生じる場合もあれば、教会が活気に満ちているからこそ問題が生じる場合もあります。聖霊が働き、人々が信仰に導かれる時に、新たな課題が現れます。「良い問題」であっても解決は必要ですが、それは神が働いておられることの証でもあります。使徒たちは不満を軽視しませんでした。彼らは耳を傾け、問題点を明確にし、知恵をもって対応に当たりました。

現代の教会も同様の葛藤に直面しています。子供のミニストリーが拡大していくのに伴い、教室のスペースが足りなくなるかもしれません。新たな信仰者の急増により、牧会のキャパシティーが追いつかなくなるかもしれません。これらは失敗ではなく、より深い忠実さへと導く招きです。問うべきは、「どうすればそれらの問題を避けられるか」ではなく、「どうすれば、イエスを尊ぶ方法でそれらの問題に立ち向かえるか」なのです。

使徒たちの応答は謙遜から始まります。彼らは、自分たちの現在の仕組みが完全であるとは考えていませんでした。また、やもめの面倒を見ることが神にとって重要なことであると認識していたのです(申命記10:18、ヤコブの手紙1:27参照)。問題はやもめの必要そのものではなく、それに対応する教会の能力に限界があったことでした。言い換えれば、この危機は、恵みにおいて成長する機会をもたらしたのです。

教会で不満が生じる時、私たちは自己防衛的な姿勢に陥るか、聖霊に委ねるのか、どちらかを選ぶことができます。祈りと工夫をもって対応すれば、不満は、改善のきっかけとなり得るのです。

みことばを中心に置くリーダーシップ

使徒たちの最初の対応は興味深いものです。「私たちが神のことばを後回しにして、食卓のことに仕えるのは良くありません。」(使徒6:2)

一見すると、やもめたちの食事の世話など自分たちには不相応だ、と軽視しているように聞こえるかもしれませんが、そうではありません。使徒たちは実務的な奉仕の価値を下げたのではなく、神からの召しを明確にしていたのです。

初代教会には、みことばの奉仕と食卓の奉仕の両方が必要でした。使徒たちは、全てを自分たちだけで行おうとすれば、どちらも疎かになってしまうことを理解していたのです。

彼らはこう提案します。「そこで、兄弟たち。あなたがたの中から、御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たちを七人選びなさい。その人たちにこの務めを任せることにして」(使徒の働き6:3)。これは、後に「執事職」として知られる働きの始まりです。使徒たちは長老として、祈りとみことば の奉仕に専念し(使徒6:4)、この七人は彼らの監督の下で具体的な必要を満たすために奉仕しました。使徒たちは、今日においても重要な原則を示しました。すなわち、健全な教会には、霊的な導きと、実務的な組織の両方が必要であるということです。

長老と執事は互いを補い合っています。長老は、教え、牧会し、信仰を守ることによって導きます。執事は、管理し、思いやり、問題解決をすることを通して導きます。どちらの役職もキリストの心を表しています。キリストは、御国を宣べ伝えただけでなく、弟子たちの足をも洗われたのです。使徒たちの決定は、奉仕の重要性を軽んじたのではなく、むしろ、卓越した形で、かつ持続可能な形で実施することを保証することで、その奉仕の重要性を確立したのです。

エルサレム教会の信徒のうち、やもめの人数がごく一部だったとしても、毎日の食料配給には数百人の人たちが関わっていたでしょう。七人の指導者だけで、全ての必要な食事を配ることは到底不可能でした。彼らの役割には、組織運営と業務分担が含まれていました。彼らは単なる働き手ではなく、奉仕者たちのリーダー(指導者)だったのです。「執事(ディアコノス」という言葉は、「奉仕者」を意味しますが、だからといって、執事が全ての奉仕を自ら行わなければいけないという意味ではありません。彼らの働きは、他の人々を動員し、キリストのからだを通して恵みが効率的に行き渡るようにすることなのです。

現代的に言えば、使徒たちは、宣教と祈りに専念できるように自らを解放しつつ、実務や世話を担うチームに権限を委ねたのです。その結果生まれたのは、聖職者と信徒の分断ではなく、聖霊に導かれた協働関係でした。長老たちは教会を神へと導き、執事たちは教会を人々が互いに支え合うように導きました。

このように、ーみことばと行い、宣教と奉仕ーが一致したリーダーシップが発揮されるとき、福音は単なるメッセージとしてだけではなく、実際の行いとしても前進していきます。教会は説教を通してキリストを宣べ伝え、行いに表される愛を通してキリストを映し出します。この役割分担は妥協ではなく、福音の秩序の姿です。説教に霊感を与えるのと同じように聖霊が運営や実務の働きにも力を与えてくださいます。罪人を救うのと同じ福音が、奉仕者たちをも整えるのです。からだのあらゆる部分が設計通りの働きをするとき、からだ全体が成熟し、周りの人々に与える影響も大きくなっていきます。

御霊に満たされた奉仕と委任の力


ルカは、選ばれた七人の男性たちが「御霊と知恵に満ちた、評判の良い人たち」であったことを強調しています(使徒の働き6:3)。重要だったのは、資格よりも人格でした。教会が選んだのは、最も効率的な管理者や、カリスマ性のある人物ではなく、霊的に成熟した人々だったのです。彼らの管理責任は、霊的なものでした。なぜなら、キリストがご自身の民に対して示される愛や配慮を表すものであったからです。

七人のうちの一人、ステパノは、「信仰と聖霊に満ちた人」と記されています(使徒の働き6:5)。その後すぐに、彼の説教と殉教は、教会の宣教の次の段階を形作ることになりました。またもう一人のピリポは、後にサマリアに福音を伝えました(使徒の働き8:4-8)。聖霊の満たしは使徒たちだけに留まらず、サーバントリーダー(仕える指導者 )たちを通して、より広い宣教へと注がれていきました。使徒たちが祈り、七人に手を置いたとき、それは彼らを公に奉仕の働きへ任命することを意味していました。按手の行為は、承認と協働の両方を意味していました。使徒たちは責任を放棄したのではなく、それを担う人を増やしました。神の国における委任は、権威を弱めるのではなく、信頼を分かち合うことによって、権威はより広く行き渡っていくのです。

これは現代の教会にも示唆を与えます。多くの働きが停滞するのは、少数の人が全てを抱え込んでしまうからです。また、リーダーが全てをコントロールしようと固執するあまり、働きが機能しなくなることもあります。しかし私たちが、「皆の益となるために、一人ひとりに御霊の現れが与えられている」(コリント人への手紙第一12:7)ということを認識すれば、奉仕を共有された管理責任として見ることができるようになっていきます。キリストを信じる者には、一人ひとりに異なる賜物が与えられています。あわれみの賜物、運営や実務の賜物、教える賜物や、もてなす賜物。聖霊はこれらの賜物を組み合わせ、キリストの豊かさを映し出すコミュニティーを形作っていくのです。

執事は、全てのスキルをもつ必要はありません。優れた計画力をもつ人もいれば、コミュニケーション能力や励ますことに長けた人もいます。重要なことは、全ての人が聖霊の導きにしたがっていることです。真の奉仕は、自分自身の力に依存するではなく、神に依存することから生まれるものです。「神が備えてくださる力によって」奉仕するのです(ペテロの手紙第一4:11)

みことばが増し加わるとき

ルカはこの出来事を次のように締めくくっています。「こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えて行った。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った」(使徒の働き6:7)。教会の危機は、福音の実りへとつながりました。神のことばは広まり、弟子たちは増え、かつては疑い、敵対していた祭司たちでさえ、キリストを信じるようになりました。実務における忠実さが、霊的な飛躍をもたらしました。

なぜルカは「神のことば」を強調するのでしょうか。それは、神のことばこそが、福音を伝える手段だからです。イエスご自身が「ことば」(ヨハネ1:14)であり、「神のことば」と呼ばれています。ルカが、「神のことばが広まった」と言う時、それはイエスについての真理、ーすなわち、イエスの死と復活、恵みと主権ーが広がり、人々の人生を変えていったことを意味しています。

この結末は、実際的な奉仕と福音の宣教が切り離せないものであることを思い起こさせます。執事たちが忠実に仕えるとは、つまり教会の前進を妨げる問題が取り除かれていきます。やもめたちが世話され、対立が解消され、教会の組織が円滑に機能することによって、またその奉仕を通しても、教会は最も大切なこと、ーキリストを証することーに集中することができるのです。

この証は、人生全体に関わるものです。「信仰に入った」祭司たちは(使徒の働き6:7)、単に知的に確信しただけでなく、イエスを主として自らの人生を委ねたのです。福音は、ただ情報を与えるだけではなく、人を変える力をも持っています。福音は、キリストの成し遂げられた御業を宣べ伝えるとともに、キリストのあわれみ深い心を映し出すことへと、私たちを招きます。

キリストを語るだけで、キリストの心を表す生き方が伴わなければ、キリストを正しく伝えていることにはなりません。逆に、その生き方を表していても、キリストを語らないならば、十字架のない親切さにとどまってしまいます。初代教会は、この両方を実践していました。彼らの奉仕における一致は、そのメッセージの確かさを裏付けました。そして、そのメッセージはまた、彼らの奉仕を鼓舞したのです。その結果、弟子たちは増え、神に栄光が帰されました。

あらゆる働きの中心におられるキリスト

使徒の働き6章は、例え混乱が伴うものであっても、教会の成長は神の恵みであることを教えています。初期のクリスチャンたちは、大変な困難に直面しましたが、祈りと御霊に導かれたリーダーシップを通して、その困難はリバイバルの種となりました。使徒たちは、自分たちの中心的な召しー祈りとみことば の奉仕ーにとどまり続けながら、他の人々が実際的な必要を満たすことができるように力を与えました。執事たちは、奉仕における重要なパートナーとして台頭し、恵みと真理が共に前進することを確かなものにしました。

これら全ての働きの中心におられるのは、イエス・キリストー真の仕える王ーです。彼は、「仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために」来られました(マルコの福音書10:45)。

キリストの生涯は、長老と執事の両方のあり方を定義しています。長老たちはキリストの教えの働きを体現し、執事たちはキリストの奉仕の働きを体現します。両者は共に、教会に対するキリストの愛の豊かさを示しているのです。

十字架は、最も偉大な奉仕こそが、最も偉大なリーダーシップであったことを示しています。キリストは、十字架の上で私たちの罪をその身に負い、神の義を満たし、私たちの罪の赦しを確かなものとしてくださいました。三日後、キリストは復活され、その犠牲が十分だったことを証明されました。今、キリストは天で支配しておられ、聖霊を注いで、ご自分の民をあらゆる良い働きのために整えておられます。

私たちがキリストの力によって奉仕する時、教会は神の恵みの生きた証となります。私たちを分裂させかねない問題も、より深く神に頼る機会となります。不満は悔い改めへ、混乱は創造性へと導かれ、そうした全てのものを通して、神のことばの勢いは増し加わります。

そして、使徒の働き6章は、私たちに次のことを考えるように促します:

・第一に、問題を神の摂理として見ること。成長は困難をもたらしますが、困難は私たちに聖化をもたらします。困難を恨むのではなく、神がそれを通してどのように教会を精錬し整えようとされているのかを問うことができます。

・第二に、みことばと祈りを最優先にすること。現実的な必要がいかに切迫しようとも、教会のいのちの源は福音です。リーダーたちが学び、祈り、説教に専念できるようになれば、全ての人が恩恵を受けます。

・第三に、聖霊に満たされた奉仕を大切にすること。聖霊の力は説教の場に限られるものではありません。聖霊は、教会の実務を担う人、奉仕を支える人、配慮や世話をする人たちにも力を与え、卓越さとあわれみをもってキリストの栄光を現すようにしてくださいます。

・第四に、チームワークを受け入れること。長老や執事、説教者と奉仕者が共に働くとき、教会は豊かに実を結び 栄えます。責任を分かち合うことは一致を強め、その影響力を倍増させます。

・最後に、神により頼んで仕えること。神が求めておられるのは、自力で成し遂げる力ではなく、神に身を委ねる心を求めておられます。

使徒の働き6章で初代教会が経験したように、成長は、機会と課題の両方をもたらします。聖霊は彼らを、恐れや分裂ではなく、知恵と恵みをもって応答するように導かれました。そして、みことばと奉仕が共に実を結んでいくように、教会の働きを再編したのです。どの時代においても、教会は同じ姿勢を求められています。すなわち、問題を、より神に従うための機会として受け止め、どのように解決するかも福音に基づいて考えていくのです。

著者:グレートリー・デイミアン  Damian Grateley

グレイトリー デイミアン

グレース教会開拓ネットワーク東京のディレクター。妻の詩子との間に3人の子どもがいる。ツイッターのフォローはこちら