Damian Grateley

「説教準備の、もう半分」

このような場面を何度も目にしたことがあります。

神学校を卒業したばかりの若い教会開拓者が、教室で学んだばかりのミニストリー哲学を携えて現場へ送られ、説教への情熱に燃えています。彼の書斎机には注解書が山積みです。 頭文字をそろえた3つのポイントも用意し、聴衆を惹きつける決定的な例話も準備したと本人は確信しています。 講壇へ進み出た彼は、35分間の説教をほぼ自分自身に向けて語ります。もちろん会衆は存在していますが、ただそこに「いる」だけです。

三楽章の喜び

福音をわずか三十五語で言い表すとしたら、どのような説明になるでしょうか。イエスはそれを、二つの短いたとえ話のうちに語られました。畑に隠された宝を偶然見つけた男と、高価な真珠を探し求めた商人の話です。二人とも、あまりに価値のあるものを見出したがゆえに、持っている物すべてを喜んで手放しました

誠実な恵み深さ

「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人たちは神に申し開きをする者として、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆きながらすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にはならないからです。」1

霊的虐待(スピリチュアル・アビューズ)が深刻な問題として認識されている今日、「指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい」という命令には、ある種の危うさが伴います。誤解を恐れて、この聖句を取り上げるのをためらってしまいがちです。けれども、これは盲目的な服従への呼びかけではなく、指導者と会衆の双方に益をもたらす協力関係への招きなのです。

執事、長老、教会の働き

前回の記事「良い問題と神にかなった解決」に続き、今回の第2回では、執事と長老の協力的な役割について考察します。それぞれに持っている独自の責任がどのように連携し、教会共同体を支え、育んでいくのかを明らかにします。

恐れが信仰より安全と感じる時

日本では勇気はしばしば静かで控え目な形を取ります。調和や同意を重視する価値感のため、キリストについて語ったり、率先してリーダーシップを取ったり、正直な疑問を口に出したりする時など、際立ち、気が引けるものがあります。このような環境で公に信仰を表現したり重要なリーダーの役割を引き受けるのは容易ではありません。