Damian Grateley

誠実な恵み深さ

「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人たちは神に申し開きをする者として、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。ですから、この人たちが喜んでそのことをし、嘆きながらすることにならないようにしなさい。そうでないと、あなたがたの益にはならないからです。」1

霊的虐待(スピリチュアル・アビューズ)が深刻な問題として認識されている今日、「指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい」という命令には、ある種の危うさが伴います。誤解を恐れて、この聖句を取り上げるのをためらってしまいがちです。けれども、これは盲目的な服従への呼びかけではなく、指導者と会衆の双方に益をもたらす協力関係への招きなのです。

執事、長老、教会の働き

前回の記事「良い問題と神にかなった解決」に続き、今回の第2回では、執事と長老の協力的な役割について考察します。それぞれに持っている独自の責任がどのように連携し、教会共同体を支え、育んでいくのかを明らかにします。

恐れが信仰より安全と感じる時

日本では勇気はしばしば静かで控え目な形を取ります。調和や同意を重視する価値感のため、キリストについて語ったり、率先してリーダーシップを取ったり、正直な疑問を口に出したりする時など、際立ち、気が引けるものがあります。このような環境で公に信仰を表現したり重要なリーダーの役割を引き受けるのは容易ではありません。

私たちが集う姿とその物語

教会は、神を賛美すると同時に集う人々の心を捉える礼拝を、どのように育むことができるでしょうか。多くの教会指導者は、礼拝の二重の目的、つまり創造主を賛美すると同時に、信徒と求道者双方を福音の真理へと導くことに格闘しています。

祈りたくない人がいる時

祈りは難しい人間関係において平和を保ったり修正するための力強い命綱であるにもかかわらず、往々にして私たちはそれを活用しきれずにいます。欲求不満、怒り、距離感を持つ代わりに、祈ることで私たちは困難の只中へ神を招き入れるように促されます。それは神に私たちの心を練り直し、神の心を反映するものへと形づくってもらうためです。しかしイエスが命じた「敵を愛し、敵のために祈る」という教えは、私たちの本来の傾向とは全く対照的です(マタイによる福音書5章43-46節)。