現代の若者とその緊張点

21世紀という時代に育つ、それはある意味怖さを伴う条件でしょう。雇用市場は急速に変化し、相反するナラティブ(語り)が注目を集めようと競い合う中、不確実な恋愛事情も加わり、若者の成功への欲望はもっとベーシックなものに退化していく傾向があります。ズバリそれは生き残りです。現代に生きる若者にとって、地元を離れ安定した職に就き人生のパートナーを見つけることがこれまで以上に難しくなっているからです。

しかし、混乱しているように思われるこの時代に、教会は、ある意味貴重な方向性を提供できる珍しい立場にあります。若年層の緊張点に向き合うことで、教会は、キリストの愛・真理・恵みによって若者たちに手を差し伸べることができるでしょう。

以下は若者世代が懸念していると思われる4つの緊張点です。


1.「大人として」達成しなければならないこと。

思春期から大人への移行は、以前より長く複雑になっています。前世代は、安定した仕事を見つけ、家を買い、結婚し、家族をもつといったすべてを、数年のうちに達成していました。今日の若者世代が同じことをするとしたら、何十年もかかることが多いでしょう。

大不況、フリーランスやギグエコノミーの出現、およびコロナウイルスによるパンデミックのすべてが雇用市場を揺るがしています。市場が劇的かつ頻繁に変化するにつれて、多くの人々のキャリアも変化しています。

一方、ソーシャルメディアの競争原理は、自分が低迷している一方、他人は成功していると若者に感じさせる誘惑を生み出します(結局人がとても幸せそうに見えるのは、加工された写真の中だからこそなのですが!)。このように進化し続ける職場環境にさえも十分に対処しかねているのに、それに加えて結婚して家庭を持つという人生の第二の課題にも苦戦しているのです。

2. 恋愛という不確定要素

恋愛相手を探す、それは若者のジレンマが特に有害になりうる領域です。愛、結婚、家族を切望していると同時に、「相手に対する私の気持ちが変わったらどうしよう?」「私に対する相手の気持ちが変わったらどうしよう?」「もし相手も私みたいにしくじりだらけの人生だったら?」というように、相手の移り気も恐れています。

世の中の文化は愛とセックスを追い求めるように促すと同時に、自由と個人の自律を称賛します。映画の中では、キスや結婚式で最高潮に達する短期的な恋愛の魔法は称賛されても、何十年も結婚生活を持続させる価値についてはほとんど語られません。若者は充実した交際を望む気持ちと、個人の自由を優先する気持ちをどう調和させれば良いか、しばしば迷うことになります。多くは、傷付けられることなくコミットメントも必要としないような親密な関係を切望しています。結果、彼らは恋愛にさらに慎重になってきています。以前の世代と比べて性的に消極的になったという研究結果もあります。たとえば『アトランティック』誌は、現在のセックス不況を特集したカバーストーリーを掲載し、こう述べています。

「X世代が同じ年齢だった頃と比べると現在20代前半の若者は性行為をしない割合が2.5倍高い。成人になってから性行為をしたことがないという人は15%に上る…35歳未満の成人の約60%が配偶者やパートナーなしで生活している。この年齢層の成人の3人に1人が親と同居しており、これがこの世代で最も一般的な生活形態となっている」

不安定な家庭で育った人の多くが、自分の家庭を持つことへの不安や心配と闘っています。雇用と恋愛の両分野におけるこのような変化によって、2020年代に大人になるということは、重大かつ、時には実存的なハードルとなったのです。

3. 矛盾する欲望

人生のどの段階においても、人間は複雑な存在です。しかし、現代の若者は、若さと成熟の二律背反に直面し、その両方を同時に欲しているのです。自分が生きる道を見つけたいと願いながらも、実家を離れることを恐れている人も多くいます。仕事で成功することに憧れながらも、柔軟なスケジュールと多くの趣味を持ち続けたいとも願っています。恋愛においては選択肢を広げながらも、一人の相手にコミットすることを望んでいます。そして、それらを求めて巣立つとき、結果的に多方面に探しに行くことになるのです。ノートルダム大学の社会学者クリスチャン・スミスは、今日の若者を対象とした大規模な調査の中で次のように述べています。

「若年成人期の文化の多様な側面——目的の不明確さ、結婚や定住の先送り、個人の自律性、流動的な人間関係、リスクの戦略的管理、同棲の不安定さ、道徳的判断への抵抗、社会や政治への関与や投資への消極性——は、可能な限り多くの生き生きとした選択肢を維持したいという彼らの関心と相互に反映し合い、また補強し合っている。」

しかし、多くはそれでもまだ満たされず、落ち着かないと感じています。ネリー・ファータドは、そのヒット曲「I'm Like a Bird」で愛する人に向かって歌っていることは明らかなのですが、その大部分は彼女の不安、儚い心への恐れ、そしてやがて自分が変化して今の恋人を置いていくだろういう思いを露わにしています。この曲のコーラス部分は、世代の魂を表現していると言えるでしょう。

「私は鳥のように飛び立つだけ。

自分の魂がどこにあるのかわからない

自分の家がどこにあるのかわからない...」

結果、多くがコミットメント恐怖症に陥りがちなのです。今日の若者は、ノアの箱舟を見つける前に着地点を見つけられなかった鳩のように、帰るべき確固たる場所や魂や家を持たず、永遠に追い求めながら飛び去ることしか知らない鳥のように感じることが多いのです。

4.ゆるしと傷

もうひとつの緊張点は、若者同士の付き合い方、特に苦しみや傷を伴う付き合い方にあります。今日では、倫理的寛容主義と道徳的憤怒、またキャンセル文化と他人を尊重する精神が奇妙に混在しています。よく「好きなことをすればいい。誰も傷つけなければ、そうしてもいいじゃないか」という表現を聞きます。しかしこのように異なる多様な世界観は互いに対立するものです。「傷つく」ことの意味さえ、多くの人が異なる定義を持っていますし、誰かが傷ついたと感じても、和解したり、相手をゆるしたり、心が癒される方法を知りません。何が間違っていて、何が正しいのかについて、互いを尊重したり議論をする代わりに、相手に「どうしてそんなことができるんだ!」と憤慨するのです。ティモシー・ケラーはこう述べています。

「現代の西洋社会は、苦しみに対して何の説明も与えず、苦しみにどう対処すべきかの指針もほとんど与えていない。結局、今日の私たちは、先人たちが経験したときよりも、苦しみによってショックを受け、打ちのめされている。」

残念なことに、そういう理由で多くの若者たちは仕事や恋愛の悩みだけでなく人間関係の悩みも感じているのです。

愛・真実・恵みをもって若者に仕える

このような緊張点が重なると、若者は自分の欲望や周囲の文化に引っ張られ、忠実に導き助けてくれる人がほとんどいない中で、圧倒されるような感情と闘うことになります。クリスチャンとして、私たちはそういう彼らに手を差し伸べることができますし、愛と真実と恵みをもって今日の若者に仕える最前線に立つべきでしょう。また教会は、若者が受容されること、コミュニティ、および愛を見出せるような、開かれたコミュニティを提供することができます。10代、20代、30代の人々が、尊敬できる大人、健全な友情、人間関係を見つけると、緊張がほぐれてホッとすることができるでしょう。教会は、より人間らしい生き方を提案する、親あるいは家族としての役割を果たすことができます。

生き生きとした環境に接した多くの若者は、たとえそこで聞く真実が不快に思えたとしても、それを聞くことを大切にします。彼らはかつて自分たちの生活や人間関係を支配していた非人間的な前提に対する反論として、信仰を抗議の手段として求めるからです。福音のメッセージが単なる空論として語られるのではなく、他の世界観と対比される形で伝えられる時、彼らの目は輝きます。

最後に、愛と真実はしばしば恵みへと導きます。若者たちが自身の緊張や課題が真剣に受け止められると知り、解決の糸口を見いだせるようになった時、より良い道への一筋の光が差し込み始めます。彼らは、自身の世代特有の困難を単に生き延びるだけでなく、知恵と希望を持って乗り越えていく可能性を少しずつ感じ始めるのです。キリストの福音のメッセージが、言葉だけでなく現実の生活の中で体現される時、その意味が次第に理解され始めます。希望が現実的な可能性として現れ始めます。そしてその後に、信仰が芽生えていくのです。

本記事は許可を得て以下の記事を翻訳掲載しています。https://redeemercitytocity.com/articles-stories/meeting-young-adults-at-their-points-of-tension?rq=marriage#

著者:ルネ・ブリューエル

イタリア・ローマにある教会「ホペラ」の創立牧師であり、『幸せのパラドックス』の著者。