私たちが集う姿とその物語

教会は、神を賛美すると同時に集う人々の心を捉える礼拝を、どのように育むことができるでしょうか。多くの教会指導者は、礼拝の二重の目的、つまり創造主を賛美すると同時に、信徒と求道者双方を福音の真理へと導くことに格闘しています。

キリスト中心の組織文化を築く

多くのキリスト教組織は、「愛がある」ことと「効果的である」ことの間の緊張の中で生きています。リーダーたちはおそらく、どちらかを選ばねばならないという前提に立っているのでしょう。つまり、家族のような温かみのある関係性を重んじる文化を持つか、それとも真剣さと責任感をもって卓越性を追求するか、という選択です。しかし聖書は、真理と恵み、愛と効率の間でどちらかを選択せよとは決して求めていません。イエスは両方を体現され、御民にも同じことを求められます。

統合的に理解する福音とは?

クリスチャンがマイノリティになりつつある多様化する社会(あるいはクリスチャンがすでにマイノリティである社会)において、私たちのミニストリー活動の根底にある動機とは何でしょうか? そういった私たちの取り組みは、信仰者の個人的な成長のみに焦点を当てているのでしょうか、それとも都市や文化との有意義な関わりにまで及んでいるでしょうか?

年末のご挨拶

クリスマスを祝うこの時、神が私たちと共におられること―「インマヌエル」を改めて思い起こします。2025年を振り返り、困難の中にあっても変わらず主が日本の教会と共におられることに励まされます。そのご臨在は、牧師たちが祈りで結ばれ、若いリーダーたちが信仰を胸に抱き、ビジネスパーソンが福音のための場を創り出し、教会開拓者たちが困難な環境で忍耐し続ける―こうした意味ある関係を通して輝いています。私たちが繰り返し目にするのは、イエスがご自身の教会を築き上げているという事実です。

父から息子へ、どの時代にも福音を伝えるために

昨年の父ティム・ケラーの病気治療の合間をぬって、私は1980年代から2000年代にかけて父がどのように福音を語ってきたのか聞いてみた。特に私は、父が清教徒派のジョナサン・エドワーズとオランダの新カルヴァン派から受けた影響について知りたかったのだ。父(以下、ケラー)は、自身の信仰形成の初期に、内面の敬虔さよりも人生全てに及ぼすキリスト教の効果を強調する新カルヴァン主義の解釈に出会ったそうだ。(カイパーやバヴィンクが経験的敬虔に関する著作を残していないという意味ではない。単に父がそれらに接する機会がなかっただけである)そのため彼は内面の敬虔さについて探求した英国のエドワーズ、ジョン・オーウェン、ピューリタン(清教徒)ら、改革派神学を個人的で経験的なモデルに落とし込んだような著作を読んだ。