主の備えに感謝して

東京都心での教会開拓がスタートして間もなく、パラカレオを紹介されました。牧師の集まりは多いけれど、牧師を支える夫人に特化した学びがあるとは初耳でした。もともとPTAなど、女性だけの集まりがあまり得意でないこともあり、しばらく参加を見合わせていましたが、複数の方から再度紹介され「導きかもしれない…」自分の枠を一旦横に置いて参加してみると、驚くほどにタイムリーに神さまの恵みを受ける機会となりました。

私たちの教会は、「コスト高の東京都心にいつか教会を!」と福音自由教会で7年祈りが積まれ、ミニストリー委員会が発足し、最初の教会として設立されました。第一回の礼拝に集まったのは6名。みな、喜びに満ち溢れていました。夕方4時から自宅で礼拝を捧げ、ごく自然に夕食を共にするようになりました。誰に言われたわけでもないですが、「心も身体も満たされて帰ってほしい」。私は、喜んで夕食を準備しました。しかし、さすがに毎週ともなると、次週のメニューは何がいいだろう。みことばをとりつぐ夫のために祈る時間より、そんなセルフトーキングが優先してゆきました。私しかやる人がいない、どこの牧師夫人もきっとやっているだろう…喜びはやがて、プレッシャーに変化してゆきました。「なんかおかしい。神の導きだと確信して、この地に遣わされ、始まった働きのはずなのに…」

そんな頃、パラカレオの交わりに導かれました。その場所に出かけてゆくことは、私を一時、働きから退かせてくれました。集まるのはみな、教会開拓者の妻たち。それぞれシーズンは違っても、同じ立場の者同士。多くを語らなくても分かり合える、そんな仲間との出会いでした。かつてある牧師が、卒業する神学生に向かって「こっちの世界へようこそ!」と冗談半分言われましたが、それほど教会内で教職者と信徒は立場が異なります。ですから教職者の妻たちとの交わりは大変ありがたいものでした。そして交わりにも増して「あなたは今、福音に生きていますか」。そう問われたことは本当に恵みでした。

パラカレオでは様々なツールを用いて、自分自身の掘り起こしをします。福音の土台という“セイフティーネット”が用意されている中で、自分の身をどれくらい預けるかは、私次第。信仰が強制ではなく、その人の意志選択によることと、通じる感じがしました。

パラカレオで毎回用意されるツールはどれもとてもカラフルで、つい白か黒に選別してしまいがちな福音理解を刷新してくれる明るさがありました。特に教えられたツールの一つが「法廷」。ミニストリーや生活の様々なシーンの「法廷」。傍聴席/被告人/裁判官、それぞれの席に座っているのは誰なのか。いや、誰を座らせてしまっているのか。教会開拓は、多くの期待とご支援を受けてスタートしました。「何かしら結果を出さなくてはならない」。私たち夫婦は被告席に座り、委員の先生方が裁判官、それを多くの支援者が傍聴している…そんなイメージに繋がりました。それは事実でしょうか? いいえ、私自身が勝手に作り出した仮想法廷です。知らない間に、自分から被告席に座ってしまっていたのです。

さらに、夫婦関係においても、夫に対し「ちゃんとやってほしい。私しか忠告する人はいない」。私はいつも正しい裁判官で、教会のみなさんが傍聴しています。いつの間にか、自分も夫と一緒に被告席で裁かれている、そんな感じもありました。裁くにせよ、弁護するにせよ、それが歪んだコミュニケーションのもとになっていることも大きな気づきでした。挙句の果てに「自分はよい牧師夫人なのか」と私が裁判官になり、自分自身を裁いている。誰が傍聴しているでしょうか? もはや誰もいません。そんな自分の姿に愕然としました。何と孤独なことか!

そんな状態に陥っていた当時の私を、主は見ておられました。そしてパラカレオに導いて下さいました。「だれもあなたを裁かない。わたしはあなたを愛している」という福音のメッセージに生きる者へと変えられるように。

きっとこれからも同じような負のスパイラルに陥ってしまう自分がいるでしょう。それでも主が諦めずにいて下さるように、私自身も主にある自由と軽やかな歩みに戻される恵みを味わい続けたいと思っています。

著者:下村羽妙

Hatae Shimomura

1988年、会社同期入社のクリスチャンとの婚約を機に教会へ。開拓2年目の宝塚栄光教会にて受洗。3女を授かり、大阪→東京→上海を2周、転勤で移動したのち、2014年夫婦で献身。東京センターチャーチに仕える傍ら、月島にて漢字検定教室やファミリーサポートに従事。地域での出会いに、主の御手を実感する日々。