ゴスペル・コーチングの重要性

日本でコーチと聞くと、どんなイメージが浮かぶでしょうか。元近鉄バッファローズの投手で、現在は千葉ロッテマリーンズの監督の吉井理人(まさと)氏が自著「最高のコーチは、教えない」の中で、若かった時に経験したコーチングについて語っています。

プロに入って三年目、初めて近鉄バッファローズ(今のオリックス)一軍で勝利を挙げた日のことを思い返して吉井氏はこう書いています。「勝利の興奮が冷めやらぬ中、寮で夕食を食べていた時、かつて指導を受けた二軍監督が、僕を見つけると、今日の勝利をほめるのではなく強い口調でああしなければならない、こうしなければいけないと、一方的な物言いでまくし立て10分経っても20分経っても終わらない。徐々に腹が立ち、とうとう怒りが沸点に達してしまった。」我慢の限界を超えた吉井氏は晩御飯をひっくり返して二軍監督と取っ組み合いの喧嘩を始めてしまったのです。先輩たちがそれを見て吉井さんを羽交い締めにしてその場を納めることができました。



これは極端な例かもしれませんが、日本での典型的なコーチングのひとつの側面を如実に示しているのではないでしょうか。往々にしてコーチングは、所属する同じ団体やチームのコーチによって行われます。そこにはすでに上下関係があり、コーチは「自分が一番よく知っている」という上目線で指導し、指導される側は自分の意見を言うことができません。このようなコーチングが全部ではないにしても、教会の中に入り込む可能性があるかもしれません。もしそうであれば誰がコーチングをしてもらいたいと思うでしょうか。



しかし、ゴスペル・コーチングは違います。ゴスペル・コーチングは、コーチとコーチングを受ける人が「私は自分が思っていた以上に罪深い人間だが、自分の期待以上に想像もできないほど神に愛されている。」 (ジャック・ミラーJack Miller、ティム・ケラーTim Keller)という立場にあってこそ成り立ちます。両者が福音に根差していれば、唯一無二なコーチング関係が生まれます。



スポーツの分野で現在用いられているコーチという言葉は、16世紀に使われ始めました。それはハンガリーのコチィ(Kocs)という町で生産されていた馬が引く客車を指しての言葉でしたが、次第に馬車という一般名詞で用いられるようになったのです。1800年代、オックスフォード大学では学生を次の段階へと導く(運ぶ)役割を担っていた個人指導者(チューター)をコーチと呼ぶようになりました。要するにコーチの基本概念は、「誰かをある場所から別の場所へ運ぶ」ことなのです。


同じようにゴスペル・コーチングの目的は、教会開拓者やリーダーを福音に根差しながら次の高嶺に導くことです。そのためにゴスペル・コーチングは(1)傾聴すること、(2)良い質問をすること、(3)クロス・モデル(CTC独自のツール)を用いて導くこと、の3点ができるコーチを提供します。


ではゴスペル・コーチングは実際にどのように機能しているのでしょうか。毎月一回、コーチングを2年以上受けている二人の教会開拓者に尋ねてみました。一人は名古屋で開拓している牧師です。私がコーチングの印象について尋ねると、彼は次のように答えました。「私はコーチングに関してもともと半信半疑のところがありました。教会は人なので、コーチが実際に私の教会には参加しないで人々に会うことなしにどのように有益なアドバイスをできるのだろうかと。しかしコーチは、私が名前を伏せて話したとしても、〇〇さんのことですか? とあたかも私の教会で人々と会っていたかのように教会(人)のことを理解してくれていることに非常に驚きました。いつも祈られていることを感じますし、感謝をしていると同時に、励まされています」



もう一人は沖縄で開拓している牧師です。彼は、「コーチングを通してコーチとの祈りが非常に励ましになっています。そしてコーチから言われるのではなく尋ねられることで、次にやるべき事や自分では思いつかない事、そして自分の心の状態に気づくことができます」と語ってくれました。


どちらの場合も、コーチは先駆的な働きをしている教会開拓者を自分ひとりでは行けないような場所、あるいは容易には行けない場所へと運んでいます。教会開拓者そしてリーダーは孤独です。しかし、彼らが抱く孤独感は、教会開拓者とその組織のことを傾聴しながら理解を深めていく組織外のコーチと分かち合うことによって和らぎます。


二軍監督と喧嘩をした吉井氏はその時のことを振り返って、コーチは、「まずは初勝利を挙げたことを『ほめる』のが先だ。そして、試合の投球について、選手がどのように思っているか『聞いて』あげなければならない」と述べています。

彼はのちにニューヨークメッツで、押しつけるような相手が嫌がる指導とは対照的な経験をしました。その時のことを次のように言っています。「コーチのボブ・アポダカが近づいてきた時、ようやくアドバイスがもらえるかと思った。そう期待したが、意外な言葉が出てきた。『おまえ以上におまえのことを知っているのは、このチームにはいない。だから、おまえのピッチングについて俺に教えてくれ。その上で、どうしていくのがベストの選択かは、話し合いながら決めていこう。』コーチのこの言葉を聞いて、僕はこの国でやっていけるかもしれないと思った。」シティ・トゥ・シティ・ゴスペル・コーチングも、後者のような、より望ましいアプローチを用いて教会開拓者が開拓を続けていけると思えるように導くことを目指しています。


コーチに関してトラウマのある人がいるかもしれません。しかし、過去の嫌な経験のフィルターを外し、福音のフィルターを身につけて、私たちシティ・トゥ・シティ・ジャパンが提供するコーチと一緒に宣教の道のりを歩んでいただきたいのです。私たちの願いはコーチングが福音中心の共同体形成に寄与することです。そしてあなたの共同体が、他の福音中心の共同体と一緒に、あなたが召された都市や街を福音中心の都市または街に変えていくことを願っています。

著者:江崎公二 Koji Esaki プロフィール→